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♪日々、コレ、ちえぞう♪

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「ぼくらが旅に出る理由」を2回歌った日にオザケンのライブに行けた。2012年。旅をしたい、もっと。 ↓ ローテンブルグで出会ったにゃんこ☆ ↓

カテゴリ:3月11日( 7 )

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お盆すぎれば涼しくなるのになー、岩手は。
ひまわりがすうーっと。伸びて咲いてる。
大船渡もまんず、暑っづがったー、この日も!

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大船渡プラザホテルのほど近く。遠くからもお祝いの花輪が目立った!

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大船渡のライブハウス・FREAKS
中に入ると…

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こんな感じで!
(逆光がまぶしくてよく分からないかもしれないけど、分からないくらいがいいよね!ゼヒいつか、直接現地へ!)

今回。
ちえぞうはミッションがあって向かったのだよ♪

話はことし3月11日・FMヨコハマの放送にさかのぼります。

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震災から一年のこの日。
ワタシは、鎌倉の番組に加えて。ケント・フリックさんの番組で「東北ライブハウス大作戦」のお話をさせてもらいました☆

ケントさん自身がミュージシャンなのもあるんだろうけど、ケントさんは親身にワタシの話を聞いてくださった。生放送中にケントさんは、涙をこらえていらっしゃったのも、ここだけの話、として書いておく。

で。

木札作戦」と題して展開されている、放送の時のケントさんの絶叫・連呼(笑)の言葉を借りるならまさに、「木札の寄付だぁ〜!!!」。
(詳細は上のリンクを読んでくだされ♪)

放送の時はこの、木札作戦のプロジェクトがこれからスタートする、って時で。ワタシはたまたま、サンプルの木札を1つ持っていたのもあり、スタジオに持っていったほうが分かりやすいだろうなぁ、と思ったので。

で。放送後。
「その木に字を書くので、ボクの木札を寄付してきてくれないかな〜」と、ケントさん。

同じ大きさの紙に何回も字を書いて練習してるケントさんがかわいかったです。笑

その、ケントさんのお気持ちを。
ようやく持っていくことができました♪

が。が?

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サイズがちがう…笑!!!
大きさがおおよそ2倍になってる!!!

あれ???

聞けばあくまで、ちえぞうが持ってたのはサンプルなんで、あの後サイズ変更があって、この大きさになったとのこと。
ありゃ★
でも、みんなの意見としては、「ケントさんのは小っちゃくてむしろカワイイ」!
(しかもデッドのスペースにすっぽり収まったのも面白い。ケントさんの木札を待っていたかのよう。笑!)

いろんな方の名前(知ってる方も知らない方も)や会社の名前が書かれた木札がずらり、と並ぶライブハウスの壁を見て。
胸が熱くなりました。
そして、そんな皆さんの(しかも、これからまだまだ増えて行くであろう)思いを背負って、ライブハウスを続けて行く、ということも。どれだけ大変なことか。

また、遊びに行きます。そんなことしかできない、ちえぞうには。応援してる、ってのを示すのは、単に‘行く’ってことしか、できないけど。

こうして宮古と大船渡のライブハウスはオープンしたので、この2店舗では、実際。店頭でお金を払って(たぶん)自分で木札に名前を書いて、ってこともできるみたいです☆
次回。ワタシも自分で書いて、壁に(^^)♪
そんな楽しみを持って、ワタシも日々。がんばりまーっす!
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by takahashichie | 2012-08-28 19:27 | 3月11日
(ふつう、本編があってからー、の、番外編だろー、というツッコミはナシで。明日書くぅー!)

8月20日。
大船渡に押し掛けた!!

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じゃぁああ〜ん!

わかる?

「マンボウ」のお刺身(右)&大腸!!!
刺身はともかく、大腸は初めてだったな〜しかもこの大腸がメチャクチャ、う・マ・い!!!
この珍味はクセになる〜もう飲まずにはいられん!って感じのお味!

お刺身のほうは、地元人間曰く「サッと湯がいてもらったほうがうめぇぞ」とのことで、ワガママ言ってお店の方に湯通ししてもらったら…

正解!!!

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大船渡のバンド・TILITILIのギターボーカルで、KESEN ROCKの実行委員でもあって、かつ、大船渡のライブハウス・FREAKSにも関わる、ヤスくん(右)&トモダーさん。
(トモダーさんの飲み物はコーラのように見えますがワインです。笑)

この先も、ね。大船渡だったりケセンロックチームとは。絶対、ゼッタイ会ったり飲む機会はある、けども。きっと、打ち上げとかライブ後とかになるし、そういう感じでなく、ね。ヤスくんたちとは、一度。ちゃんと話をしてみたかったの。

どんなことを思い、どんなことを考え、どんなふうに生きてくんだろう。

…なーんて書くとマジメっぽいけど、全然そんな感じじゃなく、全然フラット、に。シンプル、に。
単に一回、素面から飲んでみたかっただけ、ってことです。笑!

ワタシ自身が大船渡の方々とは交流がずーっとなかったし、ケセンロックに関しても認識が薄かったし正直あんまり興味も持ってなかったし、だったから。
聞いてみたいこと、そして、ちえぞうが話しておきたいこと(これまでのケセンロックへの認識に対して謝りたいこと、かな、笑)など。
素直に話せた、いい機会だった。

そんなマジトーク炸裂のなか。

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寝るオキナワさん(笑)。
(⇧大船渡FREAKS・店長)

大船渡の店舗はホントに手作りだからなぁ…徹夜してまで作業してた日も何日も、あったし。宮古ライブの前日に行われたKen Yokoyamaのツアーまでには、あれも何とかしなきゃ、これも何とか…と。
いろんなこと考えて身体動かして。で、正直、あまり気が休まらなかったんじゃないかなぁ、というのは、じゅうぶん。察しがつく。
オツカレ☆

で。
話してたら、あっという間にお店の閉店時間になった。

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ちえぞうは、ウワサに聞くBRAHMANのTOSHI-LOWさんよろしく、飲めるか分からないアルコールを数杯頼む(なんかの番組?で、TOSHI-LOWさんが言ってたけど、あの方もラストオーダーの時、レモンサワー5杯、とか言っちゃう方なんでしょ?笑)のに対して。

「チョコバナナクレープ」をオーダー&ほおばる男子全員(笑)!
カワイすぎるっしょ。ふふふ☆

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カワイイ声で「ちえちゃぁあ〜ん」と言ってくれる、やっぱしケセンスタッフの女子がこちらのお店にはいるのだよ♪
会えてヨカッた、ケセンの時もいろいろとありがとうねー!

大船渡も含む、‘気仙’の人は、ヤスくんが言う通り、やっぱり、宮古はじめ、他の沿岸の人とはまた、違う。
静かに熱い人たちが多い土地が気仙地区なのかもしれない、と。見せない負けん気が強い人たちが多いかも、と。

ヤスくんは、仮設に住みながら。日々の活動を続ける。ファミリーとも初めてお目にかかれた。次回は、ヤスくん家で飲む(^^)
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by takahashichie | 2012-08-27 01:06 | 3月11日
岩手に出かせぎ(笑)中ですが、連日。笑って泣いて、泣いて笑って。

東京に住むライブ友達。震災が起こって、私に本を送ってくれた。
「少しでも、心が穏やかになれば」そんな文章と共に。
彼女が仙台に住んでいた時。仙台のライブハウスで。転換中、文庫本読んでる人なんて初めて見て(笑)。声をかけたのがきっかけでお友達です。

そんな彼女に、最近勧められた一冊。買ったまま放置していたが、この岩手の移動中に読了。
角田光代さんの「それもまたちいさな光」。

ラジオパーソナリティにメッセージを送る主人公。それに応えるパーソナリティ。
そんな、最後の場面。涙がつーっと流れた。

今日は、ちょうど。
「その時、ラジオだけが聞こえていた」という本を読んだ。
岩手のAMラジオ・IBCラジオが。昨年3月11日の震災が起こって、どんな放送をしていたか、を。まとめた本。沿岸部からのレポートを収めたCDもついてるんだけど、これは聞けないな、まだ。

これを読んで、またちょっと、救われた。

私は震災が起こった時、FM岩手のスタジオにいたのだけど。
体感の揺れの記憶というのが実は、これっぽっちもありません。ただただ、落ち着かなくちゃ。と。午後2時53分57秒の時間まではきっちりと喋らなくては。その気持ちしかなかった。大津波警報?そんな警報があるのか?と思いながら、スタジオに映るNHKの映像に出ている情報を喋った(緊急時には気象庁の情報を待つよりNHKのほうが圧倒的に早いので、時にそうやってテレビの情報を使う)。

でも。
そうやって落ち着いて喋っていて良かったのか。
大津波警報、なんて。津波警報に‘大’がつくなんて?
もっともっと、誇張すべきではなかったか。ヘンな話、取り乱しても良かったんじゃないか?

ニューヨークのテロの時の話を引き合いに出して励まされた話は前にこのブログで書いたような。
ニューヨーク、アメリカはラジオ局がたくさんある。その中で、「あぁ、本当に大変なことが起こった」と認識できたのは、冷静に喋っていた放送局だった、と。

IBCラジオのこの本を読んで。
やはり、落ち着いて喋っていたことは正しかったんだ、と。

IBCラジオとFM岩手の立ち位置は違うので、そもそも前も書いた通り、FM岩手には報道部というセクションがないので。早い時点で、「情報」というところではない発信、「呼びかけ」の放送にシフトした。

名前が呼ばれても、連絡など取れるはずもない。分かってる。けど、「あなたは一人じゃないから」。聞いているあなたの名前を呼んで、まずはラジオが側にいるし、ラジオにメッセージを託した方が、あなたのことを思っているよ、と。
ただただ、それだけだった。

IBCラジオも、これで良いのか?と、悩み、葛藤をしたりしながら、放送をしていたことも分かった。
IBCさんは避難者の名簿を読み上げる放送をしていたけども、改めて。FM岩手はそれをしなくて良かったのかとも思ったりする。実は私たちも、どうするべきか迷った時があって、その当時FM岩手のアナウンサーだった加藤裕さんと、私で、読み上げるのにどれくらいの時間を要するのか時間を測ったり、情報に偏りなく放送できるのか、悩んだりしました。結局、見送ることにしたのだけど、IBCさんと同じ放送をすることがなくて、むしろそれはいいのでは、と思えたりしたのでした。

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きのう、おととい、と。大船渡に行っておりました。
沿岸の人は本当に、たくましいと感じます。

私ができる形で。私なりに。
これからも、寄り添っていけたら☆
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by takahashichie | 2012-08-22 16:51 | 3月11日
さっ今日はタモリ倶楽部をリアルタイムで見られる〜とスタンバイ(笑)してたら電話が鳴った。

岩手の宝・EL SKUNK DI YAWDIE、show441。

さすが誕生日が同じなだけある(笑)。こっちの思いが伝わったか、なんて書いたらホメすぎか。

ちょうど「ラジオ福島の300日」なる本を読み終わりました。
昨年の震災が起こってからのラジオ福島の歩みが記されています。

福島は、地震と津波に加えて、原発のこともあって。本当に、放送が難しかったことは容易に察しがつく。
300日を200ページ足らずでまとめるだけに少々粗くてその奥が知りたい、という部分もある本でしたが。
ワタシ的には。震災から約1週間後、CMを挟まずに特別放送体制を続けてきた中で「福山雅治さんのラジオを聞きたい」という女性の要望に応え、それをネットしたところ。勇気がいることだったろうなぁと思うけど、「こういう時だからこそ、好きなパーソナリティの声を聞きたい」のでは、という考えのもと、そういう判断をした、というのは。あぁ、そうだよなぁ、ラジオは近しいメディアだからなぁ、ふむふむ。なんて、ね。

前にも書いたけど、今、こうして放送をしていることは正しいことなんだろうか?これでいいんだろうか?
と頭をよぎることがあった。

震災から数日経って、ショウくんと相当、ま、言うならケンカしたんです(笑)。
ショウくんが伝えるべきだ、と言う放送を、FMではできませんでした。私自身もそういう放送をしていいのか、自分の責任でゴーはできませんでした。
放送を聞いた人がもしそれで何かあったら、誰がどうやって責任をとる?聞いている人に少しでも役に立つ放送をしたい。ましてや前に書いたけど、報道部もなく新たな情報やニュースが入ってこないなら。生活情報を流すのは手ではないか。でも、情報の真偽はどうやって…

そうだったなぁ。そんなケンカもしたなぁ。
っつって、今だから、ケンカしたことについては笑える。

そんでさ。ショウくんが言ってくれたんだよね。
「でもさ。聞き慣れたちえさんの声で、オレ、安心はしてたからね」

こういう何気なくて、喋ってる人は全く思うことがないことを、ぽろりと。
ラジオ福島の300日、なる本を読んで。これまた、おんなじことを。思わされましたわけです。

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この前の火曜。
郡山の「おだがいさまセンター」の中にある「おだがいさまFM」へと行ってきました。
遠目に仮設住宅が見えますね。その、仮設住宅が立ち並ぶ敷地内の真ん中にセンターはあります。

これが福島の難しいところでもあるのですが。この仮設に住んでいるのは、郡山の方たちではないのです。
原発の警戒区域となっていて避難している、富岡町を中心とした周辺町村の方々が暮らしているということです。

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住んでいた街を離れなくてはいけないという辛さと、郡山に住むということ。
そんな皆さんに聞いてもらえるように放送をしているこのFM。

窓ごしに放送の様子を見ることができます。この日も、仮設に住んでいるというご夫婦が来てました。

「避難所にいる時から(注;おだがいさまFMは、郡山でいちばん大きかった避難所・ビックパレットふくしま内でも放送をして、避難所の閉鎖に伴い一度放送を終了。今年の3月11日に新たな場所で放送を再開して今に至る)放送、聞いててさぁ〜。ホッ、と、するんだよね〜、毎日聞いてる、この、声に」

住んでいた場所が変わり、これまでのコミュニティもない。新たに築くのもそう簡単にできはしない。
そんな中で、「おだがいさまFM」は。仮設住宅に住んでいる方々を媒介するような、いや、人だけでなくて、郡山という土地とも。そして、今後をも。繋いでいく放送局になるのかも、しれません。
でもそんなこと以上にただ単に‘大丈夫、そばにいますよ’という放送をしていくこと、が。今はただ使命と思って放送に携わっている方が多いような、そんな気がしました☆

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郡山の公園にて。
公園、学校の校庭。必ずあるそうです、線量計。そして今でも、テレビでは放射線量のお知らせは流れているそうです。

これはこれまでになかった、そして、これが、いつまで続くか分からないけれど、福島という土地の日常になっていく、なってしまう。このままだと。

これが日常、って、おかしいでしょうよ?

私はまだ、自問自答している。
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by takahashichie | 2012-05-05 02:17 | 3月11日
「悲から生をつむぐ」という本を読んでいるなう、です。盛岡で来月、講演(というよりはトークショーふうになるんじゃないかな)が予定されている、作家・相場英雄さんがおススメされていたので。
相場さんも独自のスタンスで震災後の取材をされていらっしゃいますが、この本は。宮城の新聞「河北新報」の編集委員の方が、やはり。独自のスタンスで、かつ、これまでの繋がりなども通して。一般の方々を中心に聞いたお話が赤裸裸に書かれているように、思います。

福島・飯館村の菅野村長がおっしゃっていた言葉が胸を衝く。自分の備忘録という意味でそのまま記載しておきます。

「われわれのような純農村は『お金の世界』では最終ランナーだが、『命の世界』『心の世界』でなら、いいところに行ける。高度成長時代の大量生産・効率主義の最後の遺産が原発であり、結末が今回の事故だった。『足し算の世界』から『引き算の世界』に社会が転換するチャンスになってほしい。でないと、われわれの体験があまりに空しく、悲しい」

そうそう。先月。岩手の沿岸部に行って、まだ書いてなかったこと、いくつか。

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釜石では連日、キッチンカーが元気に営業してマス→キッチンカーの取り組みについて
飲食店を失った方々が、移動式の車でお弁当を作って販売する。さらに、今年に入ってからは。「キッチンカー屋台」として。週の後半はキッチンカーが、釜石市内の街中に集結して。お酒が飲める夜の屋台営業にもシフト。

ようやく行けたー、キッチンカー屋台!「和っつ」マスター、この笑顔☆
営業予定は上のリンクにアクセス!なんでも今月いっぱいの営業で、来月からはいよいよ!お店の準備に取りかかるんだって(^^)

これは、先月。FM岩手の特別番組「みんなのラジオ」オンエア前日に立ち寄った時のショット。
その時、隣に。ワタシと同じくらいかなぁ、という年齢の、男性が。

隣合って話してると、相手の話が聞こえてきたりして、素性が分かる時ってあるよね。
その男性、帰り際。ちえぞうたちにこう言ったんです。
「ラジオの人ですか?がんばってください」

次の日。たっくさん届いた、番組宛てのメッセージの中に。
「震災からもうすぐ一年(オンエア日は3月9日)、本日亡き妻の納骨となりました。」で始まるメッセージ。
下読みで最後まで目にした時、ワタシは、これを読むべきか。本当に迷った。

「追伸 昨晩は和っつキッチンカーでお会いでき、ありがとうございました」

番組、最後の最後。このメッセージ、読みました。
読んでる時に、加藤アナウンサーが、ちえぞうが持ってきた、山下達郎さんの「希望という名の光」をオンエアするように促してくれた。

あぁ、あなたは。隣で飲んでいたあなたは。そういう日を迎えていたのですね。

どうぞ忘れないで 移ろう時代の中から あなたを照らし続ける 希望という名の光を
あなたを照らす光を 希望という名の光を

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特別番組をオンエアした、釜石・シープラザの中にある「菊鶴商店」、菊池まちこさん(写真・奥)にもご登場いただいた♪
やみつきさんま。とか。お魚の加工商品で有名なのはもちろん、生のものも、ほれ!

なんだかすっごく美味しそうなショーケースを、休憩時間中に眺めにいった時のショットなのですが、コレ。
「ダメだよ〜ちえさんに今は試食させられない!コレ、美味しいからさぁ〜‘お酒ちょうだい!’って言うもん、絶対〜!放送終わってからにして!」
まちこ女将、分かりすぎ(~_~;)

うんめそうなものが出てっから、上のリンク見てみでけろ〜♪

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この方は最近も当ブログに登場したばかりですが。笑。
大船渡・陸前高田在住のメンバーで組んでいる「TILITILI」というバンドのギターボーカル・菅野さん。
特別番組にもゲストとしてお迎えして、東北ライブハウス大作戦、のお話だったり。してもらいまして♪
放送後、前から行ってみたかった釜石の名店「新華園」につき合ってもらう、の図(ラーメンやっぱうまかったー)!

菅野さんには最近も、とても面白く興味深い、お話を聞いた。
宮古と大船渡の人は同じ沿岸でもちょっと性格みたいなものが違う、とか(生活そのもの、が。同じ沿岸だから、ってくくりで見ちゃいけないのよね、納得)。震災があって、避難所に生活してからの日々、とか。やはり前にちょこっと書いた「遺体」という本、菅野さんの実際の日々でだぶる状況がある、とか…。

お話を聞いて得るものは、とても多い。だから行くの、また!
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by takahashichie | 2012-04-21 00:56 | 3月11日
石井光太さんの著「遺体」を読みました。

2011年3月11日午後2時46分以降、岩手の沿岸部・釜石では、どんな状況だったのか。
地元の人、お医者さん、消防団員、葬儀屋さん、などなど。いろんな方にお話を聞いてまとめあげられた本。

壮絶な光景を、活字で目の当たりにしましたが、不思議と涙は全く流れませんでした。
誤解のないように一言添えるならば、壮絶すぎるから、です。

釜石は、情報がなかなか入ってこない沿岸の街の1つでした。そこで、FM岩手の営業さんが車を走らせる。
震災の起こった翌日、早朝とかに出発してると思う。盛岡からだと2時間半〜3時間はあれば到着する土地。
到着できないという事情だけでないことも他にあったにせよ、営業さんがレポーター代わりに放送で現状を伝えてくれたのは、その日の夜だったような、そんな覚えがあります。

その営業さんは、ワレワレ「おっぱっぴー」なんて(影で)呼んでて、どちらかと言うとノリのいい40代男性ですが。
とてもとても、言葉に詰まる、レポート。営業職の人だからでしょ、という問題ではない。

あぁ。尋常でないことが起こってるんだなぁ。FMではテレビが映っていたので、大きな津波の映像は見ていましたが。
その津波で、街の中が。凄惨なことになっている、と。

実際、街の中が具体的にどうなっていたのか、というのが。この本を読んで、繋がった感じがします、わたしは。

そういう状況を、本を通して目の当たりにできたのもいいんですが、私的には。
「いろんな立場の人が、それぞれ、いろんな立場、で。‘いま、自分がしていることは正しいことなのか’と、思う瞬間がありながら、でも、目の前のことをしていたんだなぁ」というのが、分かったこと。
これが、この本を読んで、いちばん大きかったことでした。

FM岩手には報道部がありません。事件に関する報道や、こういった状況の時、も。どうしても報道は手薄になるのは仕方ないことです。
そこで、FM岩手では、ちょうど、その営業さんがレポートをしてくれたあたりから、でしょうか。「安否不明者への呼びかけ」という放送にシフトチェンジしていきました。

「○○さん、放送を聞いてたら連絡して」「△△は無事です ××さんへ」など…おびただしい数のファックスと電話がきました(のちにyahooメールのアカウントを作成し、そちらへも)。読んでも読んでも終わりなんか全く見えなかった。

でも。
こういったメッセージももらったんです。

「あなたたちのやっていることは、エゴだ!あんな状況じゃあ、連絡したいと思ったって、とれるわけがないのに!」

連絡しようにもできない、そんな状況が、分かっていても。それを続けたのは。これはあくまで、私自身が思っていることですが。
もし今避難所にいたり、孤立していたり、着のみ着のままの状態だとしても。あなたは、1人じゃない。とにかく、あなたは、1人じゃない。今はラジオを通してだけど、あなたのことを思ってる人がいる。それを分かってほしい、それがとにかく、まずは。伝わってほしい。

ただただ、そんな思いでした。ラジオは、1人1人に、寄り添うメディア、でしょう。

と、思いながら、も。ふっと、思う時があるんです。あったんです。
今、こういう放送をしているのは、正しいんだろうか。と。

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いま、なにか。書けることは、やっぱし書いていこう、と思う。ことごとく、写真は残っていないけれど。

先月3月9日のFM岩手の特別番組「みんなのラジオ」は、釜石からの放送でした。「遺体」という本の舞台でもあります、奇しくも。

1年が経つ放送にしても、これで、こういった内容で良かったのだろうか。いつもの放送以上に、ヘンな迷いが時に訪れるのは。仕方ないんでしょうね。
番組をご一緒させていただいた、FM岩手・加藤アナウンサー(左)、そしてゲストとしてお迎えしたノリシゲさん&RIAさんとパチ☆

ノリシゲ&RIA夫婦は、震災あと。ノリシゲさんのふるさと・大槌に、東京から移り住んで暮らしている。
そんな話はしていないしこれは想像だけど、きっと、きっと。ノリシゲさんもRIAさんも、はたまた、加藤さん、も。
「今、自分がしていることは、正しいことなんだろうか」…そんなふうに思いながら目の前のことをひたすらやってきた、そして、やってきている、そんな時が。
きっと、あるんじゃないか、と、思う。
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by takahashichie | 2012-04-13 17:41 | 3月11日
きょうは。
2012年4月11日。
1年と1か月前に、日本を。大きな震災が襲った。

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その直後の写真って、特に、FM岩手の局内はまるで残ってないや。24時間態勢の放送シフトをどうするか、ホワイトボードに書いて。そんな日々が繰り返されたんだった。そういうのは、やっぱし残しておくべきだ。写しておくんだったなぁ。

これは、震災から何日後だろう?4、5日後くらいじゃないかな?しーばらく、納豆とか買えなかったねぇ、本当に。
1週間以上、盛岡のりっちー姉さん家に寝泊まりさせてもらったんだった。家には10日以上帰れなかった。

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震災があったのは金曜の午後。はじめて、あったかいゴハンを食べたのがコレ。FM岩手を離れて(買い出し以外で)外に出たのはこれが初。日曜・深夜の放送を終えてから、だった。
暗くて静かな盛岡の街を走った。あんなに怖い盛岡の夜はないだろう。停電は復旧しつつあったけど、やっぱり、暗い。何より、しーんとしてる。車なんか全然通ってない。

「ちえぞう、メシ食ってないだろ?脚伸ばして、寝てないだろ?」
あったかゴハンのありがたみ。かけられる毛布があるということの幸せ。

こうして言ってくれたのは、飲み屋さんだったりする。いつもはゴハンなんかない飲み屋さんでカレーを食べ(器は店主の趣味で関係ない)、飲み屋さんに簡易ベッドを作って寝かせてくれた。
いろんな意味でやっぱり、飲んでることに救われてる気が、する。

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けして
あなたをわすれないと つよくむねにきざみ あなたのなをおもっては あすをむかえよう
やがてそらはうごいて ほしをそっとふらす おわるきょうをながして よるははしりさる

大好きなアンドリュー・安藤裕子さんの「歩く」という曲。

先月・3月9日に岩手の釜石から放送した、FM岩手の特別番組。聞いてくださった方ありがとう。
私的ですが、こんなにワタシ宛てへのメッセージが来るとは思わなかった。ツイッターでも。本当に。
この特番については、改めて。別に書きますね。

いくつか、お送りしたい曲を持っていってオンエアしたのですが、アンドリューのこの曲はオンエアできなかったなぁ。

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特番の翌日。つまりは、先月3月10日。
宮古・田老というところに行ってみた。日本一で、世界にも誇る防潮堤がある所。
防潮堤を登る階段は、こんなに、ぐにゃり、曲がってる。

海沿い、小高い丘のようなところがある。車で走っても、急な坂。
震災後には、そんな丘の途中…ビルで言うと、4、5Fくらいの高さはあるんじゃないかな。そんな高さのところに、まで。車が流されてきてたそうだ。

震災から1年、を前に。行方不明者の一斉捜索が行われてた。
わたしたちは、静かに。手を合わせた。

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この建物を見てもらうと分かりやすいかも。3F部分までごそっと抜けてしまっている。
目の前には、世界に誇る防潮堤があるというのに。

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まだまだ、こうして。沿岸部には、仮設の造りのコンビニがたくさん、です。これが現実です。

ワタシなりに、できること。これからもやっていきます。今月も、岩手の沿岸部に行く予定でいます。
今回は、電車にも乗れたらいいな、なんてことも思いながら。鉄道に関してはこんな、嬉しいニュースもあったことだし、ね!

歩けるペースで。人と比べる必要なんかない。ワタシも人と比べたりなんかしない。己のペースで☆
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by takahashichie | 2012-04-11 17:09 | 3月11日